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菊姫の酒造り

真の日本酒メーカーをめざし

単なるボトラー

 菊姫ではメーカーというものは、自社で設計図をかき、ノウハウを持ち 、自力で製造する力を持っている事だと定義します。
たとえば、自動車メーカーがいつも設計図を他に頼み、組み立て方などのノウハウも全く知らずに他人任せで生産しているとしたら、果たしてそれはメーカーと言えるでしょうか? ところが蔵元の実態は、これと似ています。造り方のノウハウを知らないで酒造りをしてきた、といっても過言ではないのです。 それを知り、すべてをゆだねられているのは杜氏であって、厳密に言えば蔵元の側ではありません。ただ、蔵元が杜氏に味の希望を頼むのです。

酒造りの歴史は冬期間、農業や漁業をしている人たちが出稼ぎとして杜氏を頭に技能集団をつくつてこれに従事し、江戸時代にマニファクチヤーとして確立しました。 いわば蔵元が旦那さんで、杜氏に設備を貸して酒を「造ってもらってきた」わけです。杜氏が変われば酒が変わる、これをあたりまえに思ってきたのです。

メーカーとして大切な事は、どんなことが起きてもラベルの味が変わらない事であると菊姫では思っています。日本酒のメーカーと呼ばれているものは、昔から酒のボトラーであってもメーカーではなく、ワインの世界でいうネゴシアンまたはシッパーでした。

日本で初めてのメーカーを目指して

宣伝文句に「秘伝の」とか「伝統の」とか、日本酒は神秘性を持たせたほうが商売がしやすいという傾向があります。消費者のほうが潜在的に神秘性を求めているからです。 しかし、極端に言えば、日本酒も物理・科学の世界です。宇宙遊泳を終えて帰還できるのも、コンピュータが計算してくれるからであって、決して勘ではありません。
菊姫が着手していること。それは杜氏がもつ優れた技術や勘を徹底的に分析・データ化し、企業ノウハウとして蓄積することです。ここにおいてのノウハウとは造りかたの詳細な「設計図」や判断を企業の側が持つということであって、単純に機械化・コンピュータ化を押し進めるということではありません。

したがって、菊姫では大手酒造メーカーなどのように工業製品としての酒造りを目指しているのではなく、最高の材料と人間の感性を生かした酒造りを続けていきたいと考えています。 なぜならば、酒が嗜好品であるからこそ、人間の五感を最大限に生かした酒造りをしていきたいのです。このことは神秘性とは無縁の話です。 菊姫は本来の意味において、「日本で初めての」日本酒メーカーを目指しています。それは着実に手ごたえとして、感じつつあります。